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アマヤドリ「天国への登り方」を観て [演劇]

アマヤドリ 2019 本公演『天国への登り方』のお知らせ。
ごあいさつ》



観光、安楽死、しがみつくことと手放すこと。

数年前、親父が大腸がんの手術をした。手術室へ向かう親父を見送ってから半日あまりを待合室で過ごし、ようやく呼ばれると、担当医が僕の前に立って、これが摘出した患部です、といって親父の一部だったものを提示してきた。ほー、大したものですねえ、とでも言えば良かったのか、何とコメントしてよいものかわからないうちに時は過ぎていったが、ぼんやりと、何かの準備が 必要になるんだろうということを思った。
どのみち、いつかは人は死ぬ。だから、死に方を思うことと生き方を思うことと、大きな違いはないんじゃないか。そんなわけで、望ましい死に方についての舞台を作って親父にもそれを観せてやろう、などと目論んでいたのだが、そうこうするうちに親父は死んでしまった。かくなる上は、そのことも含めた舞台にしてしまおう。僕は計画を変更することにした。
いよいよ団塊の世代が「後期高齢者」となるこれからの日本では、ますます多くの看取りの場面が演じられることになるだろう。今作では、望ましい死に方を売りにして、それを観光資源にして生きる糧にしてしまおう、というたくましい町を描いてみたい。死を想い、生を謳歌する。そんな明るい話になれば、と思っている。



主宰 広田淳一


観る予定はなかったけど急遽休みになったので観劇。
あうるすぽっとという劇場初めてですが、
とてもきれいですね。

一言で感想を言えば観てよかった。

宮崎さんが年下だと芝居のススメで知って勝手に注目。
いい兄です。
そして喪服姿で何を思ったのか…

科捜研のような榊さんの白衣の姿。
キツネの面々。
キツネ!?
人と話している。仕事している。
人に救われているキツネもいる。

延命治療、安楽死。
無意識に考えないことにしている死についてなので重かった。
医者たちの討論も堂々巡りになるのは分かる。
「死」するは本人であり、本人の意見が尊重されるべきだが、
残される家族や友人と関わりある人もある意味本人と結ばれた本人なのだから。

いつも最後の群舞を見ると洗い流されるのだけど、
今回はタールのようなものが残った。
それは私が人生折返しの年齢だからか。

最初の夫婦のハグ。最後のハグ。次があるハグと次がないハグ。
ハグ終わりで夫の目の前から消えるのは同じ。
でも結果が違う。
この対比が凄く心に残った。


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