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風琴工房「ちゅらと修羅」を観て [演劇]

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ちゅらと修羅ちゅらと修羅

青年はトウキョウである映画を観てやむにやまれぬ感情に囚われ、オキナワの地にやってくる。基地闘争の現在を目撃した青年はある瞬間、時空を飛ばされ、オキナワの過去の時間を体験することになる。

そして、彼は知る。オキナワは自分のソトにあるものではなく、ウチにあるものであり、自分もまた虐げられる者であり、虐げている者であると。


ネット右翼的な私には日本の為、国土防衛の為致し方ない話な基地問題。
ただ物語が進むにつれて、日本に占領され、米国に占領され、
女性達の人権が虐げられたものを見ていく、私は他人事だから基地が致し方ない話と語れるのだと思った。

劇中で語られる飛行場問題。
沖縄だけでなく、ある日突然近くの飛行場が「基地」になり得る。
もはや他人事ではない。
でも人は目の前に現れない限り認識はしないだろう。
日ノ本が修羅になる日がくるのかも。

100年先に飛んだ彼だけが見る世界。
そこには基地のない美しい都市計画がある街になっているかもだが、
結果また別の場所で基地が生まれているのかも。
このジレンマは隣国がある限り、戦争がある限りなくならない。

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