時間堂

ドイツの革命家ローザ・ルクセンブルク。

彼女の死後、墓前に訪れた因縁の4人が繰り広げる、ローザと過ごした記憶の再現劇。
「想像しろ。ローザの顔、ローザの声、ローザの身体。想像しろ、死の瞬間を。」

俳優の身体と観客の想像力だけで世界を立ち上げる、「すごい、ふつうの演劇。ふつうの、すごい演劇」最終章。

評価は、星4つです。
★★★★☆

レパートリーシアターでは見られなかった照明を効果的に使った十色庵を堪能しました。
ローザを通して、3人の女性と1人の男性の過去未来、右翼左翼、政治革命、愛憎と様々な面が、
万華鏡のようにパラパラと見えてくる不思議な舞台でした。
楽しかった。
最終公演とは感じさせない力があった。

視点を何処に置くか迷ったが、確かなのはローザが死んで、墓参りしてることだけ。
皆の中のローザは人の分だけあり、雑音のような思いの数が関わった人の分だけある。
菅野さんバージョン見たけど、國松さんバージョンも見たくなる。
かなり違って見えるはず。

アフタートークは面白かった。
小平さんと菅野さんの演技が好きな理由が分かった気がする。
新鮮さ。
尾崎さんの理論で最終公演出ない理由は分かった気がするが、
それを言える劇団が貴重だと思った。
私もよく仕事を下の人に断られますからw

クリスマスイブにワイン飲めたし満足!


演劇に何を求めているか。
没入感か登場人物に感情移入か物語性か。
メインの話を阻止するかのような、演者のちゃちゃは賛否両論だと思った。
十色庵で見たときはちゃちゃ入れがうざいと感じたときも合ったが、
それでも人が目の前で存在している方に気が取られて、
最後にはどうでもよくなっていた。
YouTubeで千秋楽が配信されていたので、
改めてみてみるとちゃちゃが気にならなくなっていた。
それは物語を一回知っているから、
ちゃちゃに気を取られてもいいと自分が許容しているからだ。

この作品を通して政治や世界情勢に危惧したり、思いをはせることも出来る。
墓参りで近親者に思いをはせることも出来る。
「まだ本番ではありません」と言いながら墓参りのエピソードを
演出家が語り、出演者も語る。
そしていつの間にか本編が始まっている。
いや、本編はとっくに始まっていたのかなと。
素の俳優が墓参りを語り、演じる俳優がローザの墓参りを語る。
その違いがあるはずだが、どちらも演じている俳優であり、
違いはないのかもしれない(感じさせない)

ドイツ革命が起き、ヒトラーが台頭して、
ベルリンの壁が崩壊して、グローバル化進む中、
移民問題でまた壁が出来そうになっているこの現実と同じように、
始まり続いていて、全ては延長線上にいるんだと思いました。

ただ墓参りで語るローザとの幸せな日(たとえそれが1日だけだったとしても)が、
彼ら彼女たちの至福の時だとして、それを最後に見られたことが幸せだったと思う。

いつか十色庵で同じように時間堂について、
関係者が楽しく語れるように、
十色庵は存在を続けてほしいものです。