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iaku『逢いにいくの、雨だけど』を観て [演劇]

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【大阪・劇団・演劇】iaku(いあく)| 劇作家・横山拓也「エダニク」「人の気も知らないで」「walk in closet」
あらすじ
27年前。絵画教室に通う幼い二人の間に起きた小さなもめごとの最中、不可抗力で男の子が片方の目を失明してしまった。あの事故以来、会っていない彼のことが記憶の中に立ち上り、彼女は彼に会いに行こうと決意する。ニュースにはならない、しかし、それぞれの人生に多大な影響を与えた出来事を巡り、その後の人生、親同士の関係、被害者になること、加害者側に立つこと、そして「許す/許される」とは何かを考察する。

初演は観てません。
片目が欠けたように、皆それぞれ欠けていて、欠けた者にしか分からない関係もあり、それぞれの家族も欠ける。
子供同士が加害者と被害者になり27年後にあうまでに、
互いの家族の両親たちも、事故を契機に欠けていく様が1991年の事件当時の両親たち、
2018年の子供たちが会うまでを丁寧に描いています。

片目を失った潤が大人になり、営業先で出会った同じく片目を失った風見。
その風見が潤の代わりに憤ります。風見は高校球児で練習の事故で片目を失うのですが、
それは夢の形を作ってから欠けたので怒りである。
彼には野球選手として夢があり、それを叶える途中で事故に遭い、
その時の監督に怒りをもちつつ、仕事や世話をしてくれた恩義があり、
怒りをぶつける先がない悲しみがあり、
それを潤に投影します。
投影される側の潤はその怒りを理解できない。

それは潤が夢の形を作る前に事故にあったためで、
片目が欠けたので割り切って風に見えるので、
本当に不幸なのは潤なのであり、不憫である…
ここが一番、辛さを感じた。
潤の父親が順に期待していたが、成長しても将来が見込めないと語るシーンがあるが、
それはまぁ現実を語っているのだけど、潤自身は気がつかないうちに、
片目のこともあり、目の前のことで精一杯生きてきて、それでいいとなってしまった。

夢なんて叶えられることは少ないのだけど、
その夢を見ることさえ、本人が気が付かないうちに絶たれた潤に憐れみを覚える。
劇中、演じる役者さんがカラッとしているので、全くそれを感じさせないのがすごい。

加害者の君子の父は、被害者の潤の母親と親友同士で、
男女の関係はないが、二人きりでよく会う。
そのことで亡き君子の母や潤の父に心に影を落としている。
そして、君子の父は父として立ち方がわからず、
公子の母の妹に全てをなげている。

父性というものがあるのか?という事は共感できるかもしれない。
男女の友情は共感できないかもしれない。

絵本作家になり、潤の作ったキャラクターを無意識に盗用した君子。
加害者として、謝り今後の活動の協力を依頼する。

これから先、君子と潤がどうなるのか、分からない。

ラストシーンで、二人がそれぞれ片親に電話する。
潤はそこで初めて、やりたいことに気がついて怒りを覚えたのか。その朧げな夢を進めるのか。
君子は、父親との関係を戻すのか。

やっと雨が止んだような気がするので、それぞれどうにかなるのか、それとも…

被害者と加害者、片方が欠損というのが、
体のことだけでなく家族のことも指していて、
とても深い演目でした。

これは見られてよかった。


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