SSブログ

スポンサーリンク


劇団チョコレートケーキ「親愛なる我が総統」を観て [演劇]

IMG_0478.jpg

劇団チョコレートケーキ -   次回公演 劇団チョコレートケーキ - 次回公演

「私もまた一人の心を持つ人間であった。」

1947年4月16日ポーランド、
オシフィエンチム(独語アウシュビッツ)の地で一人の男が絞首刑に処された。
アウシュビッツ収容所初代所長 ルドルフ・フェルディナント・ヘース。
ホロコーストを実行した男の内面とは?
ナチス戦犯の最後の日々。

評価は、星4つです。
★★★★☆

バタヴィアが裁く側の判事に問うた、
「我々がドイツ人でSSの隊員だったら、大量虐殺に手を貸さずにいられたでしょうか?」
これが加害者が実は被害者でもあったという証明だった。

学生時代にこの劇を観ていれば、
何をバカなことと、そんな命令を聞かなければよいのにと
思ったことでしょう。

今、サラリーマンな自分は、
ヘースと同じ立場なら、同じ事をしたかもしれない。
(いや確実にしただろう)

困難な業務(彼の場合はユダヤ人の処分だが)を上司から与えられ、
それの解決の糸口が見つかったときの喜び。
結果が人の生き死にだとしても嬉しかったのだろう。
でもそこには人にあらざるユダヤ人だったから、
物事の解決と喜んだんだろう。
でも彼がユダヤ人を人と認識したとしても、
ヒムラーやヒトラーの命令には逆らえないだろう。

誰が悪いのか?
ヒトラーか。いや彼を熱狂して迎え入れたドイツ国民か。
そのドイツ国民をたきつけたナチスか。
堂々巡り。

事実は、死んだ人間は帰ってこない。
ノヴァク判事の虚しさが響く。

ヘースが人間として裁きを受けるときに、
彼が処分した物が人間だと気づいたとき。
彼が逃げる先は命令した親愛なる総統。
これほど哀しいループはないだろう。


俳優ではない一般人限定のワークショップを受けての観劇でしたが、
今までになく、舞台が身近に感じられました。
それは舞台からの光景を知っているから。
一時でもノヴァク判事、シマノフスキ判事、バタヴィア先生になれたからか。
いつもはウィンドウショッピングのガラスの向こうの世界で、
手の届かない舞台が、その向こう側に一度立ったことで、
既知感があって、凄くリアルに感じることが出来た。
だからかいつも以上に台詞が入ってきた。

そして自分たちが演じたシーンを観たときの、
私も「重すぎます」「同志バタヴィア」とか言っていたんだ、
そして知っているんだという何ともいえない感覚。

新しい観劇の方法を見つけてしまった気がします。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0



スポンサーリンク