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TOKYOハンバーグ「愛、あるいは哀、それは相。」を観て [演劇]

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TOKYOハンバーグ
生まれて初めての転校生になった次女は、もうすぐ17歳。
こっちに来た頃は毎日泣いていたけれど、最近はあまり泣かなくなった。
この街でも保母さんになった長女は、死んだ主人にそっくりで、
子供たちの話をする時は、まるで主人と同じような笑顔を見せてくれる。
母親の私はというと、親戚が経営する喫茶店で働かせてもらい、
朝早くからコーヒーの豆を挽いては、ここに辿り着いた理由を探す。
この街で暮らす人たちの優しさや思いやりが時々、本当に時々、胸を痛くして
どうしたらいいのか、どう生きてゆけばいいのか、わからなくなる時がある。
何が本当で、何が嘘だなんて、誰が教えてくれるの?
私たちが知っていること、それはあの日を生き残ったということ。
ふるさとを離れて、もうすぐ5カ月。
この街では初雪が舞い散り、それを眺めては帰りたくなる。
私たちが生まれ育った街、南相馬へ。
TOKYOハンバーグが織り成す
3月11日から1年の歳月が流れた喫茶ホットラインの珈琲物語。

観客席は格子状に座るので両隣が空席。
でもそこに客を模した段ボールのパネルが置かれ、
寂しさは軽減してましたね。

再演、再再演を観てるので3度目の観劇になります。
なので話の大筋は知っていましたが、
色々とエピソードがなくなって(上演時間の関係かしら?2時間に納めるためとか)、
今回はスッキリとした感じになったと思いました。
それとも東日本大震災、福島原発事故から10年が経ち、
そして今は別の未曾有なコロナ禍であるので、観ている方の気持ちが客観的になったのかな。
あと地に足がついてる感じ。特に福島親子たちが。
感情を抑えている。他所者だからという感じなのかな。
だから徐々に次女が明るくなっていく(親や友人だけに見せる顔とか地が出てくる)のがよかった。

演劇と分かっていてもOPの「声」は心にくる。
疑似的とは言え、あの叫び声は本当に来るものがある。
あの時はもっと凄かったのだろうから。
(今回は劇場が広かったからか、私の座席が端っこだったからか、
それとも少し短くなっていたのかは分からないが、前回ほど恐怖を感じなかった)

伊勢の祀りは福島に届くし、今のコロナ禍の客席にも届いたと思う。
だから太古の昔から人は皆んなで神に祈ったのだろう。
劇中の福島に関しての放射能は今も答えはなく、10年後も帰郷できない人がいる事実を忘れてはならない。

再演から3回見たけど、毎回観劇後に同じ感想になる。
思いやりの思いは誰の立ち位置で思いやれるのか?
それが正しいのか?
難しいな。
だからと言って傍観するのもね。
あの喫茶店のような緩い繋がりがいいんだろうな。

マスク越しだったからかな。
コーヒーの香りをもっと感じたかったなぁ。
珈琲飲んで帰えりたくなった。
早くマスクなし観劇で見たい。
匂いも観劇の要素の一つなのを改めて思った。



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